ジュリアン・ラクリン&イタマール・ゴラン リサイタル

  BShi クラシック倶楽部 2011年2月11日 Bモード・ステレオ
 


  ジュリアン・ラクリン&イタマール・ゴラン リサイタル


 1.四つのロマンチックな小品 作品75     (ドボルザーク作曲)

 2.バイオリン・ソナタ第3番ハ短調 作品45    (グリーグ作曲)

 3.序奏とロンド・カプリチオーソ      (サン・サーンス作曲)


        バイオリン:ジュリアン・ラクリン
        ピアノ  : イタマール・ゴラン

       [収録:2008年3月17日,紀尾井ホール]

 ジュリアン・ラクリンは1974年生まれ ユダヤ系のリトアニア出身のバイオリン,ビオラ奏者。1978年にオーストリアに移住し、その後1983年にウイーン入学。ボリス・クシュニールからバイオリンの教育をうけ、その上にピンカス・ズーカーマンからも個人指導を受ける。1984年に神童としての公開演奏が開始される。
 1988年「ユーロヴィジョン・今年の青年演奏家」の称号を得て、ロリン・マゼール指揮ベルリンフィルと共演、その後リッカルド・ムーティの指揮、ウインフィルと共演した最年少ソリストの記録を叩きだす。他に数々の名指揮者と共演した後2005年にはマゼール指揮、ニューヨークフィルとの共演でカーネギー・ホールでのデビューを果たす。

 イタマール・ゴランはリトアニアのビリニュス生まれでイスラエル育ち。
 長年ラクリンと一緒に世界中を周り演奏をつずけている相棒であるが、ソリストとしも活躍していることで知られている。
 演奏はラクリンはバイオリンとビオラの奏者だという訳でもないでしょうが全体的に演奏自体がやや控え目である。細かい微妙な表現はとてもすばらしいのですが、FFになるような演奏になると収録のマイクのセッティングの関係もあるかもしれませんがどうも音の響きがあまり良くない。
 これは何の事も無い原因はゴランのピアノである。彼のピアノ演奏自体はとても表現たっぷりで技巧的にもとてもよいのですが、それはソリストの時の演奏に思えます。
 ゴランが演奏に力が入ってくるにしたがってラクリンのバイオリンの存在がだんだんと薄れてしまう、といった感じを受けました。
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アンドレアス・ショル カウンターテナーリサイタル

  BS2 クラシック倶楽部 2011年2月10日


  アンドレアス・ショル カウンターテナー リサイタル

 劇付髄音楽”エディプス王”から つかの間の音楽
 劇付随音楽”パウサニアス”から バラの花よりかぐわしく
                        パーセル作曲

 悲しみよ、とどまれ
 彼女は泣いていた
 恋人よ、話しておくれ            ダウランド作曲

 歌劇"ロデリンダ”から いとしい人はどこに   ヘンデル作曲

 歌劇”ジュスティーノ”から わが心のうちを語るなら
                        ヘンデル作曲

 絶望 Hob.XXVIa-28
 回想 Hob.XXVIa-26
 さすらい人 Hob.XXVIa-32          ハイドン作曲

 おお悲しい イギリス民謡

           カウンターテナー:アンドレアス・ショル
          チェンバロ、ピアノ:タマール・ハルペリン

  〜2010年3月12日,東京・武蔵野市民文化会館で収録〜

  アンドレアス・ショル
 1967年ドイツキートリッヒ生まれ。彼は7歳より650年もの伝統を誇る少年合唱団で歌い始める。1987年から1993年までバーゼルのスカラカントルームでリチャード・レヴィットとルネ・ヤーコブの下で修行する。また、アントニー・ルーリーやエマ・カークビーのクラスにも参加する。1993年にパリにてルネ・ヤーコブスの元でデビュー、大きな成功を収めた。
 当代最高のカウンターテナー歌手の一人として認められた彼は単独で、あるいはルネ・キーコプスやフィリップ・ヘレヴェッへ、鈴木雅明らとの共演で世界中の舞台に出演することになる。バッハは言うに及ばず、イギリスのルネッサンス音楽やヘンデルのオラトリオにも通じている。また、ドイツバロックのレパートリーの再発見にも貢献している。
 1998年にはウィリアム・クリスティの下、ヴラインドボーン音楽祭にてヘンデル作曲「ロデリンダ」でオペラデビューしている。
 ハルモニアムンディで17のレコーディングに参加しているうち1996年のヴィヴァルディ作曲「スターバト・マーテル」でGramophone Awardを授賞している。1998年DECCAに移った彼はヘンデルのオペラアリア、ベルゴレージの「スターバト・マーテル」等のCDを出しており、イギリスのクラシックのチャートでは常に高位置を占めている。
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小林恵美 スタジオコンサート

  BShi クラシック倶楽部 2011年2月10日 Bモード・ステレオ



  小林 美恵 スタジオ コンサート
 

 1.組曲「から騒ぎ」作品11           (コルンゴルト作曲)

 2.揚げひばり            (ヴォーン・ウィリアムズ作曲)

 3.バイオリンソナタホ短調作品82          (エルガー作曲)



           バイオリン:小林美恵
           ピアノ  :加藤洋之

      [収録:2009年11月1日NHK名古屋放送局T-1スタジオ]

  小林 美恵
 1967年愛知県生まれ。4歳からバイオリンを始める。1982年、東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校に入学し、1983年、第52回日本音楽コンクールで第2位、1984年、第29回海外派遣コンクールで河合賞を受賞。1985年、同高校を卒業し、東京芸術大学に進む。1986年と1987年に奨学金を得てアスペン音楽祭に参加、1988年、第4回ルートヴィヒ・シュポア国際バイオリン・コンクールで第2位を受賞。1990年、大学を卒業し、ロン=ティボー国際コンクールのバイオリン部門で日本人として初の第1位を受賞。以来、国内外で本格的な活動を開始する。これまでに大内実名子、高杉忠一、小林武史、海野義雄、堀正文、原田幸一郎に師事。
 近年では、ハンガリー国立交響楽団、プラハ交響楽団の日本公演や、読売日響の北京公演、オーケストラ・アンサンブル金沢のタイ公演のソリストを務めるなど、日本を代表するバイオリニストとして活躍している。
 室内楽でも水戸ATMアンサンブル、静岡AOIカルテットのメンバーとして活動するほか、1995年以来、パスカル・ロジェ&長谷川陽子とのピアノ・トリオの共演を重ね、2001年にはフランス・ディボンヌ音楽祭にも同トリオとして出演。また、2005年1月にはイギリスにおいて、パスカル・ロジェ、ゴルティエ・カプソン等とも共演している。
 現在、総和音楽大学の助教授を務め、後進の指導にもあたっている。

  加藤洋之
 東京芸術大学付属音楽高等学校を経て同大学器楽科を卒業。在学中に「安宅賞」を受賞し、日本音楽コンクールに入選。1990年よりハンガリー国立リスト音楽院に留学し、イシュトヴァン・ラントシュに師事。同年ジュネーヴ国際音楽コンクールに第3位入賞後、本格的な演奏活動が始まる。1993年のルセ国際音楽祭に招待されブルガリア国立放送響と協演した後、ブダペスト・フィルやスェーデンのヘルシンボリ響の定期公演への出演、ハンガリー国立響を始めとする内のオーケストラとの協演を重ね、また東欧の各地においてリサイタル、放送への出演等の演奏活動を行なう。
 1996年ドイツのケルンに移り、パヴェル・ギリロフに師事する傍ら室内楽の演奏にも力をいる始め、ドイツ各地や、イタリア、スイス、オーストリア、スペイン等で演奏会や放送への出演・録音を行ない、2001年にはリムーザン国際室内楽フェスティヴァルに招かれる。
 ウィーン・フィルのメンバーたちとはしばしば室内楽を共演し、特に第一コンサートマスターのライナー・キュッヒルとは2001年以来、デュオ・jパートナーとして数多くの演奏を重ねた。2002年12月のウィグモア・ホールへのデビューはタイムス紙上にて絶賛を博し、2005年のウィーンフィルハーモニー・ウィーン・ジャパンの一環として開催された室内楽コンサートには、メンバーたちと共演した。

 今回の演奏はNHK名古屋放送局のスタジオでの収録でしたが、2008年11月25日にこのクラシック倶楽部で放送された小林美恵のバイオリン演奏はその時はピアノがパスカル・ロジェ、チェロが長谷川陽子のトリオコンサートでした。当サイトでも紹介をしました。その時の収録は2005年10月16日紀尾井ホールでしたが、それから4年ほど経過していますが、演奏にも一段と磨きがかかった素晴らしいものでした。
 ピアノの加藤洋之の伴奏もこのサイトでも登場していますが、相変わらず、とても良いフォローを聴かせてくれました。スタジオの雰囲気が一層演奏を盛り上げていました。
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パノハ弦楽四重奏団 演奏会

  BS2 クラシック倶楽部  2011年2月9日 Bモード・ステレオ


  パノハ弦楽四重奏団 演奏会

 1.弦楽四重奏曲ト長調作品8第2        (フィビヒ作曲)

 2.弦楽四重奏曲ヘ長調作品96「アメリカ」 (ドボルザーク作曲)


           パノハ弦楽四重奏団
      第1バイオリン:    イルジー・パノハ
      第2バイオリン: パヴェル・ゼイファルト
      ビオラ    :ミロスラフ・セフノウトカ
      チェロ    : ヤロスラフ・クールハン


      [収録:2009年12月5日,トッパンホール]

  パノハ弦楽四重奏団
 パノハ弦楽四重奏団は弦楽器王国ともいうべきチェコの誇る、代表的な弦楽四重奏団。往年のスメタナ弦楽四重奏団の育ての親であるヨゼフ・ミッカの弟子達によって結成され、1971年に正式に活動を開始。以後1975年のプラハでの国際弦楽四重奏コンクールにおいての優勝を皮切りに、ヨーロッパ全土、アメリカ、カナダ、日本、イスラエル他においても定期的に演奏会を行ない、エジンバラ、ザルツブルク、プラハ等の国際フェスティヴァルに参加している。
 録音にも積極的で、そのレコードは多くの賞を受賞。特に1983年にはメルティヌーの弦楽四重奏曲第4番、第6番の録音に対してパリでアカデミーシャルル十字勲章を受賞している。ドヴォルジャーク、スメタナ、マルティヌー、ヤナーチェクなどのチェコの音楽に重点をおいて活動しているが、広範囲にわたる彼らのレパートリーにはハイドン、モーツアルト等のウィーン古典派やロマン派の作品、そしてバルトーク、ショスタコーヴィチといった近・現代の作曲家までも含む。
 パノハ弦楽四重奏団は現代の世界の有力カルテットの多くと同様、切れ味のよいアンサンブルの呼吸の持ち主であるが、その響きは現代風の冷たいタッチとは一線を画し、ボヘミア独特の練り絹の手触りのようなしなやかな感触があるのが大きな特徴である。1980年に初来日し、その後も来日を続け、近年では草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルに毎年出演。舞台に上がるたび、完璧な技巧と温かみ溢れる音色で聴衆を魅了している。

  イルジー・パノハ
 1950年、クラドノ生まれ。8歳よりバイオリンを始め、10歳でオーケストラと共演してデビュー。12歳でブラティスラヴァの背年創作活動コンクールに優勝、翌年からミッカに師事。1966年から1972年までプラハ音楽院に在学。はじめに三重奏団を結成したが、1968年にパノハ弦楽四重奏団を結成。独奏者としては1969年のチェコ文化省主催独立50周年記念コンクールに優勝し、国内外でおおくのリサイタルを行なった。さらにプラハ音楽院学生室内オーケストラのコンサートマスターとしても卓抜な才覚を示し、1972年に西ドイツで行なわれたカラヤン主宰の室内オーケストラのコンクールで第1位金賞を獲得、さらにカラヤンの指揮のもとに行なわれたコンサートマスターのコンクールでも優勝。1972年からプラハ音楽アカデミーでスメタナ弦楽四重奏団のアントニン・コホウトに師事。研鑽を重ねる。

  パヴェル・ゼイファルト
 1952年、プラハ生まれ。2歳の頃から天才的な音楽性をあらわし、歌を楽しみながら、音楽学校のピアノ・クラスに入学。あるとき聴いたパノハのバイオリンに衝撃を受けて、11歳でバイオリンを始め、1967年から1972年までプラハ音楽院に在学、パノハと同じくチャペク、ミッカに師事し、1968年からパノハ弦楽四重奏団に参加、1972年から1977年までマでプラハ音楽アカデミーで学ぶ。多多才なゼイファルトは13歳でテレビ番組の主役を演じたが、パノハの三重奏団が弦楽四重奏団に拡大されるとき、ミッカの説得で第2バイオリン奏者となり、現在に至る。

  ミロスラフ・セフノウトカ
 1952年プラハ生まれ。7歳からバイオリンを始める。その後ミッカの勧めでビオラを始め、普通中学・高校に通いながらボミール・マリーに師事。卒業後、1970年から1977年までプラハ音楽アカデミーでスメタナ弦楽四重奏団のミラン・シュカンに師事。病気で辞めたフルージュの後を受けて、1971年以来パノハ弦楽四重奏団の一員となる。

  ヤロスラフ・クールハン
 1950年、チェスケー・ブジェヨビツェ生まれ。11歳から本格的に音楽を学ぶ。R.ビーザにチェロの手ほどきを受けた後、1966年からプラハ音楽院で学ぶ。在学中は、室内オーケスラのソロ・チェリストとして活躍し、1968年からパノハ弦楽四重奏団に参加、1972年からはプラハ音楽アカデミーに進む。チェコ・フィルのヨセフ・ネコラのもとで室内楽を学び、プラハ音楽院、音楽アカデミーを通じてヨセフ・フッフロに師事。
                     (カメラータ・トウキョウの資料による)
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イヨラン・セルシェル ギター・リサイタル

  BShi  クラシック倶楽部 2011年2月9日 Bモード・ステレオ



  イヨラン・セルシェル ギター・リサイタル


 1. 組曲第1番ハ長調BWV1007

 2. 組曲第2番ホ短調BWV1008

 3. シャコンヌ                (以上バッハ作曲)

 [アンコール]
 4. さよならわたしの美しい花        (スウェーデン民謡)

 5. ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア
          (ジョン・レノン&ポール・マッカートニー作曲)


        11弦ギター: イヨラン・セルシェル

     [収録: 2007年12月1日, 東京文化会館小ホール]
 イヨラン・セルシェル  1955年スウェーデン生まれ。1978年第20回パリ国際ギターコンクール優勝。その後ソロ演奏や世界各地でオーケストラや室内楽との共演も数多く行う。
 11弦ギターはスウェーデンの製作家であるゲオルグ・ボーリンが、ルネッサンス期の曲を、原曲に忠実にルネッサンスリュートの調弦で弾くために開発されたギターである。響きの点でも、通常のギターより共鳴による倍音が多いため、華やかな音色と重厚な低音が出るのが魅力とされている。
 シャコンヌというと、これはフランス語であって、イタリア語ではチャッコーナである。少し専門的になりますが、このシャコンヌは特定の低音や和声進行を繰り返すオスティナート・バスを用いた曲の呼称のひとつである。17世紀までのシャコンヌの多くは快活な3拍子の舞曲である。オスティナート・バスによる類似の音楽としてパッサカリアがあるが、17世紀後半以後、「シャコンヌ」と「パッサカリア」の呼称ははっきり区別しないで使われたようである。
 オスティナートとは、ある種の音楽的なパターンを続けて何度も繰り返すことを言うのである。イタリア語や英語でも意味は「がんこな、執拗な」であり、執拗音型とか執拗反復とか呼ぶ事がある。
 なんにしても、バッハのシャコンヌはもともと無伴奏のバイオリン曲であるが、難曲には違いない。イヨラン・セルシェルはこれが難曲だというようなことを感じさせない演奏でした。通常のギターから見ると、随分幅が広く出来ているので、持ちにくく、やや重労働にも思えますが、彼は通常のギターから簡単に持ち替えたという感じにしか見えませんでした。もともとのこのギターの開発者が同じスウェーデン人であるからか、とか勝手に考えたりしています。オスティナート・バスによる響きが本当にバロック時代の雰囲気を再現させる音楽としての調味料になっているのでしょうか。
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ヨハネス・モーザー チェロ・リサイタル

  BShi クラシック倶楽部 2011年2月8日


  ヨハネス・モーザー チェロ/リサイタル

 チェロ・ソナタ ハ短調 作品65      ブリテン作曲

 チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38 ブラームス作曲

 組曲 動物の謝肉祭から”白鳥”     サン・サーンス作曲

                チェロ:ヨハネス・モーザー
                     ピアノ:高橋礼恵

  〜2010年10月5日,東京文化会館で収録〜

   ヨハネス・モーザー
 1979年ミュンヘン生まれ。8歳からベルリンのハンス・アイスラー音楽院でダーヴィッド・ゲリンガスに学ぶ。200年のリガのダヴィドフ・コンクールと、2001年のベルリンのメンデルスゾーン・コンクールで第1位を獲得。2002年、チャイコフスキー・コンクールでは、第2位(1位なし)入賞、ロココ風の主題による変奏曲の演奏により、最優秀解釈賞を受賞。その年にサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番をバンベルク響とバイエルン放送のために収録し、パーヴォ・ヤルヴィ指揮バイエルン放送響とストレーザやモントルー、ルガーノなど多くの国際音楽祭で共演した。
 以後、ペトレンコ指揮フィレンツェ5月祭管、リッカルド・ムーティ指揮バイエルン放送響、ロンドンとスペインでワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン響などと共演。2005年3月に、ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団とランズの協奏曲を演奏してアメリカ・デビューを飾り、シカゴトリビューン紙には、「才能に恵まれた」「英雄的」と評された。続く7月にはサロネン指揮ロサンジェルス・フィルと共演。同じく絶賛された。
 この他、ムーティ指揮ケルビー二管弦楽団のイタリア・ツアー、ザールブリュッケン放送交響楽団、南西ドイツ放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団などと共演し、シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン音楽祭やキッシンゲンの夏の音楽祭、グシュタード音楽祭、ラインガウ音楽祭などにも出演している。  
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アンドレア・グリミネッリ フルートリサイタル

  BS2 クラシック倶楽部 2011年2月7日



  アンドレア・グリミネッリ フルートリサイタル

 ロッシーニの”エジプトのモーゼ”による幻想曲 モルラッキ作曲

 バイオリン・ソナタ イ長調          フランク作曲

 カルメン幻想曲                 ビゼー作曲
                         ボルヌ編曲

 チャールダーシュ               モンティ作曲

             フルート:アンドレア・グリミネッリ
                     ピアノ:相沢吏江子

  〜東京文化会館で収録〜

  アンドレア・グリミネッリ
 1959年生まれ。イタリアのフルート奏者。レッジョ・エミリア県のコッレッジョ出身。
 10歳でフルートを始め、パリ音楽院でジャン=ピエール・ランパルに師事。ジェームズ・ゴールウエイからも学ぶ。パリ音楽院在学中に、イタリアのストレーザとアレッサンドリアの国際コンクールで最上位を制覇し、注目を集める。
 1983年、パリ賞ソロ部門を受賞したのを契機に、1984年、25歳の時にルチアーノ・パヴァロッティに見出され、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンのコンサートに同行して共演するとともに、CDでも共演した。1984年にもパリ賞室内楽部門を受賞。
 さらに、ロンドンのハイドパーク、ニューヨークのセントラル・パークをはじめ、パリのエッフェル塔やモスクワ「赤の広場」など音楽が盛んな欧米の大都市名所でのコンサートに同行し、パッヴァロッティの名声の広がりとともに、その名を知られるようになる。
 ソリストとしては、ジョルジュ・プレートル、カルロ・マリア・ジュリーニなど多くの世界的な指揮者と共演した。スカラ座やカーネギーホールなど、世界の著名劇場、ホールでコンサートに取り組む。エンニオ・モリコーネや三枝成章の楽曲で、オーケストラとの共演を果たしている。
 されに1996年のセントラルパークのナウムバーグ野外音楽場のコンサートでは、ブランフォード・マリサリス、ケニー・カークランドらと共演。他に、エルトン・ジョン、ジェームス・テイラー、スティング等と同じステージに立ち、マレーシアのトップボーカリストであるニン・バイズーラのCDのレコーディングに参加するなど、クラシックの範疇に留まらない大物アーティストとのコラボレーションによって音楽の世界を広げている。
 1991年イタリア共和国大統領より騎士の称号を与えられる。
 日本での演奏は、2002年に開催されたヴァンジ彫刻庭園美術館開会式レセプションが初めてとされている。
 2005年の愛知万博でのコンサートに出演し、後に、東京、扶桑町、安城、三島、札幌を巡ったのをはじめ、日本にもたびたび来日している。
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木嶋真優 バイオリン・リサイタル

  ハイビジョン クラシック倶楽部 2011年2月7日 Bモード・ステレオ



  木嶋真優 バイオリン・リサイタル


 1.バイオリン・ソナタホ短調作品82       (エルガー作曲)

 2.スペイン舞曲                (ファリャ作曲)
                       (クライスラー作曲)

 3.ゆううつなセレナード作品26     (チャイコフスキー作曲)

 4.カルメン幻想曲                (フバイ作曲)

 5.タイスのめい想曲               (マスネ作曲)

 
          バイオリン:木嶋真優
          ピアノ  : 江口玲

       [収録:2009年6月20日,紀尾井ホール]

  木嶋真優
 1986年神戸市生まれ。3歳頃からバイオリンを林泉の元で始め、3〜4歳の頃から「将来はプロになろう」という志を持っていたという。桐朋学園子供のための音楽教室茨木教室に通いながら、就学前から京都での子供向けのコンクールで3年間連続の金賞を受賞。小学校入学後、7歳の時に五嶋みどりのレクチャーコンサート、9歳の時に宮崎国際室内楽音楽祭でのアイザック・スターンのレクチャーコンサートに参加した。9歳の時に小島秀夫指揮コジマ・ムジカ・コレギアとメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲第1楽章でオーケストラ・デビュー。1998年、第52回全日本学生音楽コンクール大阪大会小学生の部で第1位を獲得。江藤俊哉、小栗まち絵、戸上和代、川崎雅夫に師事。
 私立小林聖心女子学院に進み、1999年、日本クラシック音楽コンクーリ全国大会で最高位を獲得。トルコのイズミルでイズミル交響楽団第25回定期演奏会に出演。群馬ジュニア・オーケストラとともに国際ジュニア・オーケストラ演奏会に参加し、カーネギーホールなどで演奏した。2000年、リビンスキ・ヴィエ二ヤフスキ国際コンクール・ジュニア部門で最高位を獲得。その他、多数海外のコンクールにて、第1位を受賞。また奨学生に選出され、アメリカ・アスペンのサマーフェスティバルに参加し、ドロシー・ディレイに師事。
 2001年10月、ケルン音楽大学ヤングコースへ留学し、ザハール・ブロンに師事。平成14年度文化庁海外派遣研究員。
 2003年6月、アシュケナージ指揮N響のラヴェル管弦楽作品集において、ツィガーヌのソリストとして、アシュケナージより抜擢され、レコーディングに参加。
 2006年には小林研一郎指揮日本フィルハーモニー交響楽団とヨーロッパで演奏会を行う。また、プラハ交響楽団の日本ツアーにも同行。
 2008年、初のソロアルバム「シャコンヌ」発売。ケルン大学に留学後は、ヨーロッパ各地でのサマーフェスティバルにも参加して好評を得る。

 今回の演奏を聴いて感心した事は、聞くところによれば3〜4歳で既にプロになる心構えがあったという、空恐ろしような少女を思い浮べながら聴いていましたが、実際の演奏ぶりはほんとに素晴らしいものでした。演目においてもとても良い選び方で彼女のレパートリーの広さをよく披瀝したものでした。巧みな演奏技術もとても新鮮な感覚で非常に透明感のあるのびのびした弾き方で最後まで心をとらえた演奏でした。
 ますますこれからの将来の発展ぶりに大きな期待を楽しみにしております。
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東京交響楽団演奏会

  BShi クラシック倶楽部 2011年2月6日


  東京交響楽団演奏会

 ピアノ協奏曲 第2番 へ短調 作品21    ショパン作曲

                  ピアノ:ダン・タイ・ソン

 交響曲 第8番 ハ短調          ブルックナー作曲

                    管弦楽:東京交響楽団
                  指揮:ユーベル・スーダン

 〜2010年11月28日,神奈川県・ミューザ川崎シンフォニーホールで収録〜

  ダン・タイ・ソン
 ベトナム・ハノイ出身のピアニスト、生まれたのは1958年。現在はカナダのモントリオール在住。
 1980年、アジア人で初めてショパン国際コンクールの覇者となった人。であるが、ダン・タイ・ソンの栄光の裏では、イーヴォ・ボゴレリッチの評価をめぐり審査員が紛糾し、そのなかで、マルタ・アルゲリッチがボゴレリッチの排除に異議を唱えて退席するという騒動がもちあがった。しかしながらダン・タイ・ソンはその論戦にも邪魔されることなく、演奏会ピアニストとして目覚ましい経験をを重ねてきた。とりわけショパン作品の解釈と、透明な音色、音楽ずくりの自然な呼吸で定評があり、現在でも傑出したショパン弾きの一人に数えられている。
 父は詩人であり、母はピアニスト。ハノイ音楽学校で母に学んだ後、モスクワ音楽院に留学。1980年、ショパン国際ピアノ・コンクールで優勝。併せてマズルカ賞、ポロネーズ賞、コンチェルト賞も受賞してセンセイションを巻き起こした。以来、世界40カ国以上を訪れてリサイタルやトップ・オーケストラとの共演を重ねている。日本にも1981年以来しばしば訪れ、着々と人気を高めている。
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N響コンサート 第1690回N響定期公演

  BS2 クラシック倶楽部 2011年2月4日


  N響コンサート 第1690回N響定期公演

 ピアノ協奏曲 ト長調             ラヴェル作曲

             ピアノ:ピエール・ロラン・エマール

 ムジカ・リチェルカータ 第1番       リゲッティ作曲

             ピアノ:ピエール・ロラン・エマール

 交響曲 第8番 ハ短調 作品65  ショスタコーヴィチ作曲

                   管弦楽: NHK交響楽団
                  指揮:シャルル・デュトワ

   〜2010年12月15日.東京・サントリーホールで収録〜

  ピエール=ロラン・エマール
 リヨン出身。地元の音楽院に通い、後にイヴォンヌ・ロリオに師事。
 1973年にパリ音楽院で室内楽演奏により褒賞される。同年、オリヴィエ・メシアン国際コンクール優勝。1977年にブーレーズの招きで、アンサンブル・アンテルコンタンポランの創設メンバーに名を連ねる。ブーレーズのほか、小沢征爾、ズービン・メータ、シャルル・デュトワ、プレヴィン、アンドルー・デイヴィス、デイヴィッド・ロバートソンらの指揮者と共演。20歳でシカゴ交響楽団と共演し、アメリカデビューを果たした。
 
 現代音楽の関係者として特に有名で,ブーレーズのレポン、シュトックハウゼンのピアノ小品、リゲティの練習曲などを演奏した。ジョージ・ベンジャミンやマルコ・ストロッパら年下の作曲家の作品も取り上げている。
 近年では、アーノンクールの指揮によってベートーベンのピアノ協奏曲全集の録音によって、現代音楽の愛好家以外からも注目を浴びた。近年テルデックでも録音を行い、なかでもメシアンのトゥーランガリラ交響曲は絶賛を博している。
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